2008年12月08日
泥鰌鍋
深川の高橋は、大江戸線清澄白河からすぐである。
その名のとおり、この橋は道からいちだんと高いところに架かっている。
ここいらは、下町の中でも岩崎邸や芭蕉記念館など、名所の多いところだが
高橋が架かっているのは江戸期に掘られた小名木川という運河の上である。
この高橋は「たかばし」と濁って読む。
今でも夕刻、橋のたもとにたたずんでいると、藤沢周平作品の江戸下町の情緒を彷彿させる風景が浮かび上がってくる。この高橋は、律儀な職人の若者と下町娘が、涙のわかれをする場面などによく使われているのである。
この橋から森下のほうへしばらく行くと「伊勢喜」がある。
泥鰌を食わせる店である。
ここを私は、親しくしている執筆者の大学教師から紹介されたのだが、以来たまに足を運ぶことがある。
だいたい私の育ったところでは泥鰌は食べない。
フナや鯉は食しても、泥鰌を食うものだとは思っていなかったのである。
子どもの頃大人たちが何かの拍子に、出雲の「安来節」をおもしろおかしく踊るのを見ているのは楽しかったが、考えてみればあれは泥鰌すくいである。
しかしまさか食べるために泥鰌をとらまえているのだとはついぞ想像しなかった。
東京にきてからも、たまに居酒屋などに「どじょう鍋」などと書いてあっても
注文したことはない。
食習慣というのはおもしろいもので、自分が食べたことのないものは食べ物には映らないのである。つまりその頃の私にとっては、泥鰌もゴム紐も同じようなものであった。
これは好き嫌いとか食わず嫌いとかいうのとは少しちがうと思う。
たとえば
金魚を食べたことのある方はかなり少ないと思うが、
私の後輩で、これをみごとに料理して食べていた男がいる。
たしかにあれもまぎれもない魚なのだから立派な食べ物になりうるのである。
ただ何となく「神聖にして食すべきにあらず」といった
固定観念が邪魔して、食べ物にみえないだけだ。
彼は、信州人らしいアカデミックで探究心の旺盛な男だったが、
今は立派に国立大学の教授として活躍している。
別に金魚のお陰ではないと思うが。
「伊勢喜」の泥鰌の丸鍋は絶品である。
小ぶりの泥鰌が丸のまま鍋一杯に入っているところに、
百年以上の歴史をもつこの店秘伝の割り下をたっぷり注ぎ込んで、
刻みネギを山盛りにして温まるのを待つ。
泥鰌はすでに火が通してあるから、温めればそのまま食える。
肉も骨も、箸をつけると崩れてしまうほどにやわらかいから注意が肝心である。
口に入れるとたちまち溶けてしまう。
すこしだけ辛味のある刻みネギとの噛み合わせは、
魚の豊富なところで育った私にも
味わったことのない仙境の味覚である。
店内に、「高歌放吟お断りします」と貼り出してある。
まあ別に珍しい貼紙でもないから、さして気にも留めてなかったのだが
ある夕方、鍋をつついていたら、多少お酒をきこしめしたとおぼしき三人連れが
入ってきた。いずれも身なりのきちんとした中年男性である。
何かの集まりで早い時間からお酒が入っていたのであろう。
中のひとりが
「わたしは言葉がわからない~♪」
と店の門口で童謡を歌い始めた。
さして大きな声でもなかったのだが、
その途端に店の奥から亭主が飛び出してきて
「もうだいぶご機嫌のようですから、お酒は一切出しません」
となんとも厳しい声できめつけたのである。
聞けば三代前から、酔って歌う客はすぐさま叩き出すというのが、この店の伝統なのだという。
喧嘩になるかな、と心配したが客のほうもそこは紳士で、謝りながら鍋を注文していた。
しばらくして亭主のほうも「一本だけ」との注釈つきでお酒を出していた。
私は居酒屋で高歌放吟したことはないから、まだこんな目にあったことはないが、
知人の中にはお酒が入れば興に乗って歌いだす手合いもいる。
周りに迷惑をかけるほどの声ではなくても、ここでは追い出される口かもしれない。
泥鰌を食うのに、いちいちうるさい作法を言わなくても、とも思うが、
伊勢喜でたまにみかける職人風のいなせな初老の男性が、
粋な半被姿で
きちんと正座して鍋に対している姿をみると、ちょっと考えを改めたくなる。
徳利を一本立てて、鍋を食い終わるまで、ピンと伸ばした背筋をまったくくずさない
のである。
むろん無駄口はいっさいきかない。
その端然として流れるような立ち居振る舞いがなんとも粋で綺麗なのである。
私などには到底真似できないワザだ。
指物師か、大工の棟梁ででもあるのだろうか。
きっと腕のいい職人さんなんだろうなあと、
そのみごとな所作をぼんやり見ほれている冬の夕暮れである。