2008年10月14日
良寛さんの書
禅僧良寛の書のなかで、いちばん世に知られているのは
子どもたちにせがまれて大きな凧に書いたという「天上大風」であろう。
私は、残念ながらまだこの書の本物に接したことはない。
何年か前に、渋谷でかなり大掛かりな良寛の書画展が催されたので出かけてみたのであるが、これだけはレプリカというのか、実物大の複製が展示してあるだけであった。
この凧は、大人が取り上げて、庄屋さんのお宅だかにだいじに保存されてきたという話を聞いたことがある。
そこに記してある良寛という署名は偽物である、
というのが一般に流布している説のようだ。
たしかに、子どもに書いてやった凧に、
麗々しく自分の署名をするというのは、あの良寛さまのキャラクターには似つかわしくない気もする。
しかし複製をみていても、この署名はみごとである。
そのおおらかな筆遣いをみていると、これがもし偽筆だとすれば、
真似て書いた人も相当な人物ではなかったかと思わせる。
真偽の詮索はともかく、もしこの署名が良寛その人によるものだと仮定するなら、
良寛はこの凧が、書の依頼を断り続けてきた大人たちの手に渡るであろうことを予測していたのではないか。
そして可愛い子どもたちの手に、必ずいくばくかの銭が入るであろうことをわかっていたにちがいない。
そう思うと、
そう想像することで、良寛という人のかぎりないやさしさが伝わってくるではないか。
不思議な手紙がある。
五合庵に籠もる良寛に、米一斗と酒一斗を送った人への礼状である。
「酒は飲んでしまったが、お米は余ったからお返しする」
というのである。
文字通り五合以上の米は不要だ、ということであろう。
しかし酒は全部飲んでしまったというところが、いかにもおかしい。
「いんきんたむしに悩まされているから、はやく塗り薬を届けてくだされ」
という達筆の手紙も私の好きなものである。
だがなんといっても私が好きなのは「般若心経」の書写である。
おそらく彼は数限りないほどにこの経文を写したことであろう。
私が持っている複製本は、実によくできていて、
良寛さまのお人柄がそのまま紙面から漂ってくるかのようである。
恥ずかしながら、ときおり私は、これを脇に置いて臨書を試みている。
どのみち上達しようなどという野心はないのだから、
王義之などをなぞるよりは、意味のある文章を書いてみようと思ったまでである。
書いていて気づいたのだが、良寛さんのこのお経は、やたらに誤字、脱字が多い。
たった二百六十余文字の中に、不思議な誤字がたんと出てくるのである。
なかには、あきらかに意識して余計な棒を引いたとしか思えないような文字もある。
般若心経には、同じ文言のリフレインが多いが、すぐ前に書いた文字を、わざわざ誤って書いたりしている。
以前に、ある偉い方から、濃い紺地に金文字で書かれた、故岸信介氏の直筆による
「般若心経」一巻を戴いたことがある。
いまもたいせつにしまっているのだが、能書家として知られる岸氏のものとしても、
これは屈指の出来栄えなのではないかと思われる。
それはそれは実に見事なもので、
いつか見た厳島神社に奉納された平清盛の写経に、勝るとも劣らぬ絢爛たる風格をもったものであった。
当然のことながら誤字や脱字などは一箇所もない。
まさに一国の宰相たるに相応しい、堂々たる般若心経である。
それにひきかえわが良寛さんの般若心経はどうであろう。
線も点も、自由にとんだり跳ねたり曲がったり、実に適当に思える。
遊んでいるとしか思えない筆法なのである。
臨書しながら思わず笑ってしまうほどいい加減にみえるのである。
しかし良寛は、歴史に名をとどめるほどの名書家なのであるから、
私も冗談事でなく一生懸命写しているのだが、
そこは俗物の悲しさ、ついつい腹の底から笑いがこみあげてきてしまう。
しまいには、笑いついでにあちこちなぐり書きを始めたりしてしまう。
どうも良寛さんの書はそんな気分を身体の中に惹き起こすのである。
うそだと思う人はぜひ良寛の「般若心経」の臨書をやってみるといい。
大きな本屋に行けばすぐに手に入る。
ただ、この臨書でひとつだけ会得したことがある。
この書は、表面的にはごく親しみやすくみえながら、途方もなく高い精神から生み出された、まぎれもない天才の手になるものだということである。
字間すずやかにして、行間宇宙を埋める、と言ったらいいのだろうか。
細楷というのか、一応楷書なのだが、その筆法はのびやかで、まことにすずしげである。自由奔放にみえながら、一字一字がそこにあるしかないという存在感と緊張感を創りだしている。
まるで幼児期の手習いのときのような悪戯をしながら、
なんだか良寛さんの高みに、少しだけ近づいたような錯覚を覚えるのは、まことに気分のよいものなのだ。
ついでに言っておくと、いま使っている硯は、わが故郷山口県の赤間が関のもので、日本でも有数の匠(たくみ)によって刻まれたものである。
当地の販売会社の社長さんたちから5年ほど前に戴いたものだが、
持ち主とあまりに似合わぬこの風景を、最近は気にしないことにしている。
これも良寛さまの駘蕩たる書の影響であろうか。
良寛が存命中、越後(新潟)に大きな地震があった。
その地震の前とあとでは彼の書く書は、まったく違うそうである。
むろんその書の違いを云々することは、私にはできない。
ただ良寛のような、清浄な人柄とナイーブな感覚には、
何人もの生命を奪った大災害の衝撃は耐えられぬほど大きなものであったにちがいない。
それが書に顕れたと言う事なのであろう。
地震のあと、良寛が縁戚の人にあてた手紙がある。
地しんは信(まこと)に大変に候
(略)
しかし災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
是(これ)はこれ災難をのがるる
妙法にて候
こんな境地に達する日が私にも来るのだろうか。