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2008年03月24日

櫻を待つ

春を告げる梅の花の可憐さも好きだが、桜というのは、やはり日本人のメンタリテイにいちばん合っているのではないだろうか。
「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山櫻花」
という歌を引くまでもなく、桜の開花と聞くと、入学、卒業といった人生の節目の懐かしい想い出を彷彿する人が多いことだろう。
日本は先進主要国の中でも、入学式を4月に行う、数少ない国である。
「入学試験を、いちばん風邪を引きやすいシーズンに行うのはいかがなものか。欧米並みに、9月頃にすべきだ」という声が最近はよく聞かれるが、こうした批判も、存外人々の桜花の季節への哀惜の想いには勝てないでいるのかもしれない。

3月10日は、若くして逝った当社の先代社長、坪田研一の命日である。
特にソメイヨシノをこよなく愛していた彼は、この花がほころぶのを待つことなく、急逝した。
私は毎年、この日を「櫻待忌」と勝手に名づけて、独りひそかに供養をしている。
といっても、墓参をするわけでもなければ、香を焚いているわけでもない。
ただ深夜、自分の部屋で、J.コルトレーンのCD演奏を聴きながら酒を飲んでいるだけである。コルトレーンのサックスは、彼と私の共通の憧れでもあった。その、豊かだが哀切極まりない響きが身体を駆けめぐるとき、
「樹齢のはかないソメイヨシノではなく、日本古来の山櫻花の方を愛していれば、彼ももっと長生きしていただろうに」
などと、まったく理屈に合わない想いが浮かんだりするのである。

朝早く通勤路で目の前を、桜の徽章のついた真新しい帽子を、まぶかにかぶったピカピカの1年生の軍団が走り抜けていく。
「あゝまた桜の季節がやってきた」と、しみじみ思う。
この時季の子どもたちの顔は、限りなく可能性に満ち満ちて、何よりも美しい。