2009年08月19日
伊予人の景色
もう三年ほども前になるだろうか、
連休の合間に、伊予松山の道後温泉に遊んだことがある。
私は生来気管支が弱いので、
埃っぽい温泉宿が苦手なのだが、
さいわいこの旅では大事にいたらずにすんだ。
松山は、大学時代の友人をふくめて、知己が多い。
しかしどういうものか、それまで機会に恵まれず
実はそのときが初めての訪問だった。
坊っちゃん電車という可愛い乗り物が道後温泉まで走っていて、
その温泉にはまた、坊っちゃんの湯などというのもある。
なるほど漱石はこの町の観光資源になっているようだ。
また市内のあちらこちらには俳句を書かせる場所がしつらえてあって
さすがに俳諧中興の革命児である正岡子規の故郷だけのことはあると
感心した。
漱石と子規が「愚陀仏庵」と名づけて、しばらく一緒に過ごしたという
木造の二階家は、きちんと保存されていて、
ここでも訪問者は、なかば強制的に即興の俳句を詠まされる。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、
この正岡子規と、同じ松山出身の秋山兄弟という明治の若者たちの群像を
日清・日露戦争を背景に描いた壮大なスケールの叙事詩である。
ただここに来て少し意外だったのは、地元の人たちが案外に
秋山兄弟のことをご存じないということであった。
今は安藤忠雄氏が設計した立派な記念館が完成しているようだし
この秋にはNHKの大河ドラマも予定されているようだから
そんなこともないのかもしれないが、
私が訪れたときは、
旧秋山邸を探しあてるのにさえ、かなり苦労したものである。
しかし伊予人の、この恬淡として暖かい、そして開放的な性格は、
ほかのどの土地にもまして私には好感が持てた。
日本海海戦で、「天気晴朗なれども浪高し...」の名文をつづり
「智謀湧くが如し」と言われた天才秋山真之、
世界最強のロシアのコサック騎兵を打ち破った秋山好古の兄弟に対して、
これだけ無関心なのも、この風土とかかわりがあるのかもしれない。
この兄弟が、東京の好古の官舎で、
たった一個しかない飯茶碗をつかい、
かわるがわる酒を注いで飲む場面が
私はとても好きである。
この大作の白眉と言っても過言ではない。
のちの世の、形骸化した軍閥選良などと異なり、
まだ、国家国民に尽くすエリートという言葉が
その真正の意味で通用した時代であったろう。
ところで私の後輩で、この伊予松山に大きなみかん山を
いくつも持っているのがいる。
以前は、時季がくるといつも甘い伊予蜜柑をどっさり送ってくれていた。
わが家ではとても食いきれないほど送ってくるので
近所におすそ分けしていたものだが、
これがあるとき、予告もなくぱったりと来なくなった。
聞けば、山の管理すべてを取り仕切っていたご母堂が、
高齢で倒れられたのだとのこと。
そもそも彼はこの山の跡取り息子のくせに
フランス文学とか色彩心理学などというものに入れ込んだ挙句、
いまは保険の仕事で悠々と生活しているのだ。
蜜柑山の手入れをする気なんかまったくないようだ。
むろん秋山兄弟のことなど知るわけもない。
専門はヴィヨンだそうだが、子規も彼の関心の外である。
その恬淡ぶりは、ある意味いちばん伊予人らしいのかもしれぬと
ひそかに感心しているのだが、
ただ私としては、季節がめぐってくるたびに、
あの口中に広がる柑橘の香りと歯ざわりにかなりな未練を持っているのである。
兄弟も舌濡らせしか伊予蜜柑 (白蝋金)