2009年12月09日
小さい秋...
今の季節、行き帰りにみる露を含んだ紅葉の中でも、
ひときわ目立つのは、はぜの木である。
わが家の庭の満天星(どうだん)も
このはぜの木の鮮やかな深紅にはかなわない。
だいぶ前に、仕事の帰りに根津の権現様をお参りしたあと
何気なくぶらぶら歩いていたら、
偶然にサトウハチローの旧邸を発見して
ちょっと感激した覚えがある。
フェンス越しに眺めることのできる小ぶりな邸宅と庭は
昭和の混沌のなかにあっても
純粋な魂を失うことなく、
奔放に自由に生きた、この天性の詩人に似つかわしい、
いかにも瀟洒なものであった。
ただ、そこに立てられていた説明用の掛札に
「『小さい秋みつけた』の小さい秋とは庭の隅に
植えられているはぜの木である」
と書いてあるのを読んだときはあわてて、
飛び跳ねるようにその場を立ち去った記憶がある。
目の隅に、たしかに鮮やかなはぜの葉が映っていた。
ボニージャックスが歌った
「誰かさんが、誰かさんが...」で始まるこの名品の
主人公がまさか「はぜの木」とは思わなかった。
あとでたしかめてみたら
3番の歌詞でようやく出てくるから、そのときまで
知らなかったのである。
はぜの木が苦手である。
小学生の頃はよく近くの山野に遠足に出かけた。
そしてかならず、このはぜの木でかぶれた。
枝の下を通過するだけでかぶれるのである。
なみのかぶれ方ではない。
全身に湿疹ができて、しまいにはかさぶたになったりする。
記憶をたどると
中学生になってからはあまりかぶれなくなったようである。
私の身体の中に、何か変化がおきたのだろう。
しかし、いまだにはぜの木をみると
身の内にぞくっと戦慄が走る。
あの美しい深紅の葉も、私の目には
一種まがまがしい色彩にしか映らないのである。
身体の中には免疫みたいなものができていても
心の中は今も無防備なままのようだ。
はぜの葉っぱを思い描いただけで
湿疹がからだ中に広がるような気にさえなるのである。
手塚治虫の漫画でそんなのをみたような気がする。
先日、朝日新聞にこの佐藤邸のはぜの木の特集が組まれていた。
それによれば、この木は8年前に、
近くの礫川公園に移植されたということである。
ついこないだのような気がしていたが、
するとあのお洒落な庭で、目の隅にはぜの木をとらえたのは
そんなに前のことだったのか。
写真でみる礫川公園の中央に植えられたはぜの木は
大きくて堂々としており実に美しい。
私の記憶にあるサトウハチローの庭の隅にあったはぜの木は
こんな巨木ではなかったようである。
しかしそれとても、私の中で
はぜの木を、できるだけ小さいものにしようという意識が
働いているせいなのかもしれない。
私の、はぜの木に対する脳内のレセプターは、
いつまでたってもフレッシュなのである。