2010年04月22日
右大臣実朝
紫の斑(ふ)の仏めくシャガの花 (虚子)
ふと気がつくと庭の塀に沿ってシャガがきれいに何列にもなっ
て花を競い合っている。
私は詳しくは知らないのだが、
この植物は、あまり日当たりがよいというよりも、
半日陰というのか、少し湿ったようなところを好むのではないか
と思う。
やはりこの季節、鎌倉のお寺を巡っていて、このシャガの群生を
よく見かけた。台湾リスが林間をたくさん跳びまわっていたのと
一緒に思い出す。
この花は、美しいが、どこか不思議な雰囲気を漂わせている。
冒頭の虚子の句は
そのシャガのおぼろな風情をよく伝えていると思う。
清々しく、楚々としてはいるが、
どこか謎めいた表情の佳人のようでもあるのだ。
鎌倉というところは、訪れた人にいつもいろんなドラマを語りか
ける場所なのである。
あの名物の大銀杏がついに強風で倒れたそうだ。
初めて鶴岡八幡宮に参拝したとき、
子どもの頃に祖母のひざで聞いた実朝の遭難事件が
きわめてリアルに想起できたものだ。
まさしくその大木の蔭には、凶刃を懐に呑んだ公暁が潜んでいる
にふさわしい風景であった。
ことの真偽は別として
こうした伝説が生まれる背景には
それなりの人間の営みの深さ重さがあって、けっしてあなどれな
いものなのだ。
実朝の歌を吟じ、
その軌跡を辿っていると
この稀有の精神がかかえていた悲劇性は
鎌倉という土地柄と決して無縁ではないと思えてくる。
彼は将軍になぞなりたくなかったのであろう。
しかし「将軍職」が彼を放してくれなかった。
つまり凶刃に倒れるべくして生を受けたのが
右大臣実朝のすべてだったのではないか。
倒れて無残な姿をさらしている大銀杏を
テレビの画面で見ながらしきりとそんなことを考えていた。
最近、この倒れた根っこから新しい芽吹きがあったのだそうだ。
実朝は、あの剛毅な子規をして
万葉集と実朝以来、日本にはずっと歌よみはいなかったとまで
言わせたほどの歌人なのである。
大銀杏の根元から伸びる新しい生命と、
しなやかなシャガの群舞は、
貴人実朝の優雅にして雄渾の魂を象徴しているようだ。
おほ海の磯もとどろによする浪われてくだけてさけてちるかも
(金槐和歌集)