2010年07月15日
古代のロマン
わが家の子どもたちが通った古い小学校の
石門の前に小さな公園がある。
その池では、ツガイのマガモがいつものんびり泳いでいる。
ここにはまた、古代ハスとして知られるあの大賀ハスが株分けさ
れていて、この時期になると、毎朝その開花をみることができる。
大ぶりの花弁の半分ほどが薄紅色に染まっており、池面に浮か
ぶ花の貌はおぼろに幽玄である。
蓮華、というが、たしかに花と書くよりも華という文字で表わす
のに相応しい姿だ。
この季節には必ず毎朝それが咲くことを
この地に来てすぐに知ったのだが、
そのおぼろな姿をみたのは実はごく最近のことなのである。
この古代ハスの種子の発芽という
奇跡とも言うべき驚異的なニュースが
大賀一郎博士によってもたらされたとき、
私はまだ小学生であったが、
そのいかにも悠久というにふさわしいロマンは
幼い胸をうちふるわせるに十分であった。
「2千年前のタネが花を咲かせたんだって!」
「オオガ先生って、まるで花さか爺さんみたいだね」
「ハナサカ爺さんは桜だろ、これはハス、ハス、レンコン!」
友達同士のこんな珍妙な問答を記憶している。
そのハスの種子の最初の発見者は、
その頃中学生だった千葉の女生徒だったという。
合計3粒のタネのうち2粒は失敗したのだが、
最後のひと粒がみごとに発芽に成功し、2千年前の華を咲かせたの
である。
2千年前の種子が炭化した舟の木ぎれに混じって
3粒みつかった、というのはひどくロマンティックな、というか
ロマンティックすぎる話ではある。
大賀博士は、このタネがあった丸木舟の破片をシカゴ大学に送っ
て年代の測定を依頼した。
その結果そのカヤの木片がおよそ2千年前のものであることが推
定できたのだという。
このときの「放射性炭素年代測定」という方法は今もあまり形を
変えないで使われているのだと聞く。
ただ、どこにでも厳密な人はいるもので、
種子そのものを測定したのではなく、
同じ地層に在った丸木舟の破片を測定したのだから
あくまでも推定でしかない、というのである。
つまりは、ほんとうに2千年前の種子であるのかどうか
今でも論争が続いているのだそうだ。
半可通ふうに言うけど、
実際、エントロピーの増大の法則から言えば
植物の種子というのは実に摩訶不思議なものなのだ。
この世のすべてのものは物理的に拡散していってるはずなのに
ひとり植物のタネだけは生命体として凝縮していく。
3粒のうちの
最後に残ったひと粒を炭素年代測定すればほぼ正しい結果が得ら
れたことであろう。
しかしそれでは種子の発芽を断念することになって、
「古代ハスの開花」という神秘のロマンは、永遠に失われてしまった
であろう。
やはり最後の一粒が芽吹き、開花してくれたからこそ、
この大賀ハスのドラマは世界を駆けめぐり感動させたのである。
この季節、
上野不忍池や京都万福寺の池でもハスの花が、
曼荼羅図のような美しい世界をくり広げてくれているが、
実際私たち素人には
大賀ハスとこれらのハスの区別はよくわからないのである。
DNA鑑定などするならともかく
見ただけでは専門家でもわからないのではないか。
しかしいま、この小さな公園の池で
ボーっとたたずむ大賀ハスの幻想的な立ち姿には
これはもう絶対に縄文時代のタネがよみがえったものにちがい
ない、と思わせる何かがひそんでいるのだ。
たとえ科学的論証が十分でなかったとしても、
世界中の多くの子どもたちが、この華に想いをよせて
古代のロマンと夢の世界を無限に描くことができれば、
それは大賀博士がこの世に残した
魂の資産と言えるのではなかろうか。