2010年08月24日
モニュメント
日暮里を降りて、
谷中の夕焼けだんだんに向かい、御殿坂を少し上がった右手に
月見寺がある。
正式には長久山本行寺という名刹だが、江戸時代から月見のでき
る高台にあったことから月見寺と呼ばれているのだそうだ。
境内に入ってすぐのところに句碑が建っている。
ほつと月がある東京に来てゐる 山頭火
種田山頭火の書いた文字をそのまま掘り込んだもののようである。
その向かい側には一茶の
陽炎や道灌どのの物見塚
と刻んだ句碑もある。
すぐ近くに、江戸城を創建した太田道灌の馬上ゆたかな弓取りの
ブロンズ像をみることができる。
ここらに物見塚を築いたものだろうか。
銅像といえば、以前、新幹線新山口駅に降りたったときのこと。
駅前広場に、編み笠に襤褸法衣をまとった托鉢姿の山頭火が
巨大な銅像となって立っていた。
ここは、私の子どもの頃はわずかに本線と支線の連絡をするだけ
の小さな駅であったから、こんな立派なロータリィなどはなかっ
たのである。山頭火はこの近くの防府の出身だから、おそらくこ
のブロンズ像とあい成ったのであろう。
思わず私が、「かわいそうに......」とつぶやいたら、
横にいた知人も「ほんとになあ」と同意してくれた。
この人は防府市の市会議員だが、詩人なのである。
政治家や実業家ならいざしらず、放蕩無頼の生涯のうちに、
おのれの人生の意味を希求しつづけて旅に倒れた詩人が、
ふるさとの地に銅像を建てられて喜ぶのであろうか。
違和感を覚えるのは私だけとは思えない。
たまたまこれは山頭火であったが、
同じふるさとを持つ中原中也であっても
これは同じことなのではないか。
私は見てはいないのだが、半藤一利氏の著書によれば、上熊本駅
には漱石の銅像が建っているのだそうだ。
漱石が銅像になるのを喜んだかどうかは不明だが、
なるべくなら、そうであってほしくないという気はする。
上野の西郷さんや大隈重信像などは、作者の高村光雲、朝倉文夫
の雄渾の魂が乗り移っているようで、それだけで打たれるものが
ある。それは銅像になった彼らの歴史における具体的業績のあり
ようと無縁ではないのである。
ところで、
パリのモンパルナスには、ロダンの手になるバルザック像が、
周囲を圧する態で建っている。
この像に感銘をうけたリルケの有名な文章がわが国の教科書に
掲載されたこともある。
バルザックの「人間喜劇」の圧倒的なエネルギーと
あの眩暈に満ちたロダンの彫像とは実にみごとに調和している。
日本でもあちらこちらに
俳聖芭蕉の銅像、石像の類を見ることができる。
句碑の数などは枚挙に暇がないくらいのものである。
こうなってくると
やたらに銅像などのモニュメントを造ることを毛嫌いする私は
料簡が狭いということになるのだろうか。
あれほどに句碑を嫌った子規も
その没後は、あちこちに句碑を建てられている。
子規がよく通ったという根岸の豆腐料理屋の前にも
句碑がある。
しかしこれは案外と、食いしん坊だった子規も喜んでいるのでは
あるまいか。
水無月や根岸涼しき篠の雪
蕣(あさがお)に朝商ひす篠の雪
「篠の雪(笹の雪)」というのが名代の豆腐屋の名前である。