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2010年12月21日

魔笛(または夜の女王のアリア)

師走に入ってまもない土曜の夕べ、
上野の文化会館の大ホールで
ワルシャワ歌劇団のオペラ「魔笛」を観た。
去年の冬、このポーランド国立歌劇団の「ドン・ジョバンニ」
を観たのだが、これが意外なほど素晴らしかったので、
今度も同じモーツアルトを聴く気になったのである。

若い頃、小林秀雄の一連の「モオツアルト」の著作に
入れ込んだせいで、ずいぶんこれらのオペラレコードを
聴き込んだものだ。
私の「魔笛」のレコードはLP盤の三枚組で、
カール・ベーム指揮によるベルリンフィルの演奏である。
いかめしい化粧箱に収納されていて、もはや骨董品なのだが、
今も捨てられないでいる。
その頃(1963年くらいかな)来日して、満天下を魅了した当代
随一のバリトン、ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ
扮する鳥刺し男パパゲーノの、どこまでものびていく軽快な歌
声を、時のたつのも忘れて堪能したものである。
ただ何といってもこのオペラの聴かせどころは
「夜の女王のアリア」の、
コロラチュラ・ソプラノの美しい響きであろう。

今回の公演でも
舞台中央に、半ば宙吊りの状態で現われた
タチアナ・ヘンペルの夜の女王が
さらわれた娘への深い情愛と、これをもたらした者への怨念を、
ほとんど人間の発する声とは思えぬほどの超絶技巧で表現する
のである。

小林秀雄に「酔漢」というエッセイがある。
親友河上徹太郎と一緒に、
河上の故郷である岩国におもむく際の
夜行列車での光景を描いた、ただそれだけの話なのだが、
この道中に「魔笛」が重要な役割を演ずる。

友達も長い間つきあっていると、友達たることにおたがいにテ
レるものである、と小林は言う。誤解というつき合いの大事な
きっかけが消失してしまうためなのだそうだ。
黙ってチビチビ飲んでいたウイスキイがしだいにきき始めて、
河上はすでに大船あたりで酔っぱらい状態となってきた。

「魔笛はいいぞォ、夜の女王はいいぞォ、こら、ザルツブルグ
ってのを知ってるかァ」などと喚きだし、汽車の中だから逃げ
出すわけにもいかず、黙って聞いてるほかなかった。実は旅に
出る前、河上に頼まれて小林は「魔笛」のレコードを貸したの
だが、こんな目に遭うとは知らなかったとぼやいている。

ついに、「夜の女王のアリア」と称する寝言の如きものが、獣の
吠え声のように聞こえてくるに及んで小林は、この酔漢には全然
異常なところはない、と断ずるにいたる。
アルコオルが消滅させたものは、彼の社交性或いは社会性であ
って、彼の理性ではない。
小林はここで、「彼もまた一匹の獣を狩り出しているのである」
という言い方をしている。
あの「夜の女王のアリア」を
夜行列車の中で、呂律のまわらぬ酔っ払いの声で聞かされると
いうのは、まことに同情にあたいする事態である。

翌朝、岩国の名勝・錦帯橋をみて、そのモーツアルトのような
美しさに感嘆するのだが、それにしても小林がここで言ってい
る「一匹の獣」というのは何だったのだろう。

二時間半におよぶ「魔笛」の演奏の波間に身をゆだねつつ、
どんな人間の中にも獣がいる、その獣をどう飼いならしている
かが、それぞれの人生の舞台の彩りを決定していくのだ、
などとこれまたとりとめもないことを思う宵であった。