中学生の道徳

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中学生の道徳

読み物資料とはなにか

人間の内面で複合的に絡み合う多様な価値が描かれている

道徳の「読み物資料」とは,さまざまな価値が複合的に絡み合う人間の行為や思考を扱ったものです。読む人は,そこに登場する人間の行為や考え方に学び,批判をし,あるいは自己投影しながら考えをめぐらせていきます。
価値が複合的に絡み合ったその人間の行いに,あるひとつの道徳的価値を見い出し,スポットをあて,これを焦点化していくのが道徳の時間の役割となります。

道徳の時間は「読み物資料」が頼りなのか

道徳の時間で扱われる資料は多様化しているのが実情です。映像を見たりゲストティーチャーを迎えた授業などは,児童生徒の興味・関心を引き,多くの学校で実践されています。
しかし,そのような状況にあっても「読み物資料」が道徳の時間で中心的役割を果たしている傾向はかわりません。これは文字を媒介とした「読書」がもたらす効果と同じものが「読み物資料」にあるからではないでしょうか。道徳の時間は「読み物資料」が頼りなのか,と問われれば,ある意味「その通り」ということができるでしょう。
映像では主人公の顔は同じものとして生徒児童に共通して認識されます。しかし,文字を介した情報の場合,その主人公の行為や考え方を通して,読み手はそれぞれに「彼」や「彼女」を想像します。風景やその他の登場人物も,一人ひとりの心に映るものが違います。
「読み物資料」で,読み手の心情が内面から引き出されてくるのは,こういった想像の過程を通しておこる現象なのではないでしょうか。そこには自己投影があり自己対話があり,まさに道徳的価値を焦点化し深化する上で,貴重なプロセスを構成しているといえます。

道徳の時間は「読み物資料」が頼りなのか

「読み物」であれば何でもよいかといえば,それは違います。「読み物資料」にも当然「良し悪し」があります。
まず児童や生徒の心を揺さぶることができない読み物は良い資料とはいえません。また自作資料等にみられる,落とし所が見すかされる資料も悪い資料の部類でしょう。焦点化する道徳的価値に縛られた資料などが該当します。また児童や生徒の気付きを促すために助言的な記述があるのも好ましくありません。「退屈なお説教」として読み手の心が冷めてしまいます。
自分の思考や行いをその読み物に投影し,自省の機会を与えられる資料は良い資料といえます。主人公の行為や思考に真実を感じることのできる資料であれば,読み手の内面的心情を引き出すことができます。
最近では,ストーリー性のあるものが児童生徒には好評です。おもしろい,と読み手に感じてもらうことも「読み物資料」にとっては大切です。