第二一回 日本でいちばん歌謡曲が充実したスナック、中野坂上<艶歌>
交差点を高層ビルが囲み、ここ数年ですっかり様変わりしてしまった中野坂上。昔は閑静な住宅街だったのに、いまでは西新宿副都心の延長みたいな雰囲気だ。地下鉄の駅を出て、歩くこと1分。中野坂上交差点からすぐそばのビル2階にあるのが『艶歌』。正式名称を「歌謡倶楽部 艶歌」というだけあって、ここは単なるスナックじゃありません。お店の名刺にも「想い出の歌 なつかしのメロディー 心に生きるSP時代」とあって、とにかく歌謡曲が大好きという人ばかりが集まる、音楽業界ではかなり知られた店なのだ。

艶歌のオーナー、吉野昭一さんは昭和6年生まれ。戦争のまっただ中で学生時代を過ごしたあと、印刷の仕事に従事。昭和29年から印刷業を営みながら、大好きな歌謡曲にずっと関わってきた。ひいきの歌手のコンサートにはどんな遠くまでも追っかけていき、歌手のポスターや歌詞カードの印刷も手がけた。だんだん歌手や作曲家、作詞家の先生たちとも知り合いになって、27年前に開店した艶歌には、業界の人がたくさん遊びに来るようになった。店の壁をずらりと埋める貴重なレコード・ジャケットのコレクションは、吉野さんの歌謡曲に賭けた生涯をそのまま物語る、人生パノラマだ。
店には戦前のSPからLP、シングル盤など約7000枚のコレクションが揃っている。気が向けばレコード・コンサートが始まったりするが、お客さんは全員が歌自慢なので、いちばんのお目当ては当然ながらカラオケ。「あたしは酒が一滴も飲めないし、お客さんも8割は酒を飲まずに歌ってます!」という、なんだか歌道場みたいな雰囲気でもある。
演奏のメインは通信カラオケだが、艶歌のすごいのは、「通信カラオケに入ってない曲は、自分で作っちゃう」ところ。原曲を譜面に起こし、それを打ち込みで独自に音源化。モニターには静止画と歌詞が流れるようにする。そんなふうにして作られたオリジナル・カラオケが、艶歌にはすでに2000曲も揃っている! 78歳のいまでも毎晩、店に出る。3年前からは息子さんも加わって、ふたりで店を切り盛りしながら(息子さんのほうは、歌謡曲にはぜんぜん興味ないそうですが)、吉野さんを訪ねてくるお客さんと、歌謡曲談義にふけって、時を忘れる。「いやあ、いまは印刷もやめちゃって店だけだから、大変ですよ」と言うけれど、こうやって大好きな音楽といっしょに生きていけるのは、はたで見ててもすがすがしいし、すごく羨ましい。「昼間の仕事(印刷)も一緒にやってたんで、昼間のオヤジも知ってますが、店とはぜんぜん違います。やっぱり店では生き生きしてる。やっぱり好きなことをやってるのがオヤジの元気の秘訣だと思いますよ」と、息子さんも語る。
これがクラシックやロックだったら、人はまたちがったふうに受け取るのだろうが、ジャンルが歌謡曲というだけで、こんなにマニアックなお店が、業界以外にはまったく知られないまま、もう30年近くも都心で営業を続けているという事実。
いま、歌謡曲の立ち位置って、そんなもんなんでしょうか。
<吉野マスターとの一問一答>
都築 演歌雑誌の友人に聞いてお邪魔したんですが、こちらのお店は、けっこう古いんですよね。マスター 古いです。店はね、27年。
都築 そんなに! もともとこの場所だったんですか。
マスター ここで13年。向こうで14年。
都築 向こうっていうと?
マスター 山手通り沿いでね。いま工事してますでしょ、あれでこっちに、追っぱらわれちゃったんです。
都築 このへん、あんまりお店とかないですよね。中野坂上という場所を選ばれたのは、どうしてですか。
マスター このあたりに住んでますからね、もう50年近く。
都築 いまはビルもできて道もできてにぎやかになってますけど、昔の中野坂上は、すごく静かなところだったんじゃないですか。
マスター ほかにはなんにも、ありませんでしたからね。だからうちは、このへんでいちばん古いと思いますよ。でもここは中野区で一等地だからね。キングレコードの社長がいたんだから。
都築 なるほど。お店を始められる前から、音楽関係のお仕事をされてたんですか。
マスター わたくしはね、会社を昭和34年に独立しまして、ということは、どういう会社かといいますと、印刷に関係した仕事。美空ひばりさんとか、島倉(千代子)さんとかの、ポスターとか歌詞カードとかをいろいろやってたんです。
もともとなんでそうなりましたかというと、コロムビア・トップさん。あの方がむかし、12チャンネルで「懐かしのメロディ」って番組をやってたんです。そこにね、わたしをよく連れてってくれたんです。
都築 えっ、トップさんと!? どうやってお知り合いになったんですか。
マスター トップさんはねえ、えーと・・・。わたくしは若原一郎って、「おーい中村君」を歌った、彼と仲良かったんですよ。年も同じでね。そのとき若原一郎は、碑文谷でトップさんの家の近くに住んでたんですよ。その家に、仲良かったからしょっちゅう通ってて、それでトップさんともお話するようになったんです。そしたら「お前、そんなに歌が好きなら、テレビ東京へ来い!」って言われて。それで通ってたら、楽屋にも連れてってくれて、あの当時の人を、いろいろと紹介してくれたんです。
都築 じゃあ、もともとは音楽業界にいらしたんじゃなくて、音楽が好きだったのがきっかけなんですね。
マスター そうですね、わたしも小さな音楽学校に行ったことあるんですよ。日本高等音楽学校ってとこが、下神名にありましてね。
都築 じゃあ、一時は歌手を目指されたんですね!
マスター 目指したっていうか、へたくそのくせに、やっぱり好きだったんです。わたくし、昔は鉄道員だったんですよ。
都築 えええっ! 印刷の前に?
マスター そう、それで戦争中は、学徒動員ってのが昔あったでしょ?
都築 ええええっ! そんなにお年なの!?
マスター 古いんです。あたし。昭和6年ですから、78歳です。
都築 えええええっ! すごく若くお見えになるから、60代だと思ってました・・・。
マスター 年、食ってるんですよ・・・。

都築 でも昭和6年ってことは、小中学生くらいのときが戦争中ですよね。授業なんてほとんどなかったんでしょう。
マスター あぁ、ないです、そういうものは。だから学徒動員ですよ。
都築 でも、さすがに戦地に動員されるようなお年じゃないですよね。
マスター それはないです。要するに、昔は、いまの中学を高等小学校っていって、高等科2年っていうと、いまの中2ですね。みんな工場とか職場に派遣されたんですけど、ほとんど希望するところに、入れてくれたんですよ。それで、わたしは鉄道員をやったんです。
都築 じゃあ、戦中から鉄道で働かれてたんですね。
マスター そうそう、それを20何年かにやめて、上京して、音楽学校も2つくらい行って・・・。昔は部屋を借りても、食事つきだったんです。朝と夕飯がついて。そういう時代だったんですよ。わたくしは中野の新井薬師ってところに住んでまして。
都築 そのころ音楽学校に通われてたってことは、かなり本格的に歌手を目指されてたんじゃないですか。
マスター いやいや、ただの憧れですよ(笑)。
都築 当時、街で流れてた音楽っていうと・・・?
マスター やっぱり、岡晴夫、田端義夫。だいたい岡晴夫さんといえば、「啼くな小鳩よ」をデビュー盤のように思われてるけど、「国境の春」で昭和13年にデビューしてるの。田端義夫も昭和14年かな、デビューしたの。でもみんな知らないから、田端義夫っていうと「別れ船」とかね思っちゃうけど、その前にもレコード出てるんですよ。ただ、売れなかったんですけどね。
都築 そこまで音楽にお詳しいってことは、すごく小さいときから音楽が好きだったんですか。
マスター そうですねえ、うちにこれ(SP盤蓄音機)があったんです。
都築 音楽に関係したお仕事を、ご家族がされてたわけじゃないんですよね。
マスター 父親が好きだったんですよ。田舎ですと、近所がうるさいから普段はかけられないんです。歌なんか歌ってると「あいつは不良だ」って言われた時代だから。
都築 そうか、音じゃなくて、噂がね。じゃあ、こんな機材を持ってる家なんて、少なかったんじゃないですか。
マスター 村で1軒だけ。お盆とか正月とかね、みんなに声をかけてから、音楽かけてました。でも、音楽学校だって1ヶ月、行くか行かないかくらいでしたよ。
都築 それから印刷のほうに入られたんですか。
マスター そうですね。でも音楽関係の印刷をするようになったのは、たまたま友人がそういう会社に勤めてたからなの。それで遊んでるならやってくれって言われて、それから。それが昭和29年で、せがれが生まれたのが昭和35年。その35年に独立して今日にいたるんです。3年くらい前までは、昼に会社行って、夜はこっち来て、両方やってたんですけど、もう体がもたないから、昼をやめたんです。そりゃいろんな歌手の人のもの、いっぱい作りました。
都築 そうやって印刷のお仕事されながら、いつかはこういうお店をやりたいって思ってたんですか。
マスター わたしはね、レコードは7000枚くらいあるんです。それをこのままでいたら、屑になっちゃうでしょ。せがれも興味ないからね。わたしが死んだら、捨てられて終わりになっちゃう。それじゃ嫌だから、好きな人に聞かせたり見せたりしようと思って、店を始めたの。だからお酒は売らない、喫茶店でもよかったんです。でもやっぱり歌はね、喫茶店じゃちょっとね。でもうちに来る人は、酒なしの人も多いですよ。
都築 ほんと! きょうのお客さんだって、どなたも呑まれてないですもんね。
マスター お茶やコーヒー飲んだりしながら、歌うの。
都築 それじゃ、スナックとカラオケ喫茶のあいだって感じですか。
マスター 懐メロ喫茶だよね(笑)。80%は、お酒呑まないお客さんだからね。わたしも呑めないですから。そのかわりにせがれが呑みます。
息子さん オヤジはね、酔っぱらいが嫌いなんですよ。泥酔してるお客さんは、帰しちゃったりすることもあるし(笑)。
都築 そうなんだ、スナックなのに(笑)。失礼ですが、そんなにお酒呑まれない方が多かったら、売り上げを作るのが大変そうですけど・・・。
マスター いまはどこのスナックも、呑んで歌って3000円とかでしょ。お客さんもわかってますからね、そのへんは。コーヒー呑んでても、そのくらいを置いていってくれます。
都築 しかしお店の外の感じからして、知らないひとが、ふらっと入ってくるのは難しいと思うんですが、やっぱり常連さんが多いんですか。
マスター そうですねえ、でも30年以上たつと、我々の時代じゃなくなってくるんですよ、大変です。

都築 そうですか、でも開店のころから通ってる方も、いるんじゃないですか。
マスター ひとりかふたりはいますねえ。あとはみんな、死んじゃった。歌手のひとだって、もうほとんど残ってないでしょ、当時のひとは。
都築 でも、ここへ来るみなさんは、歌が好きで来られてるんでしょ。
マスター そうですね。カラオケにない曲も自分で作ってますからね。
都築 それがこのお店の、すごいところですよね! あの棚に並んでるコレクション、最初はただのカセットかと思っちゃいました。
マスター でも持ち出しはしないですよ。ここに来て、歌いなさいって。
都築 作るといっても、具体的にはどうやってるんですか。
マスター 打ち込みを頼んでるんです、広告で見たりして探して。譜面に起こすのは、店も手伝ってくれている女性がやってくれてね。
都築 そうなんですか! いま、カウンターにいらっしゃる女性ですよね。てっきり息子さんの奥さんだと思ってました(笑)。
マスター テープしかない音源を、譜面に起こしてもらうんです。
都築 この間、動画まで作られた曲を見せてもらいましたが、あれはいったい?
マスター あれは春日八郎のすごいファンがいて、その方が作ってるんです。春日八郎の曲を全部作っちゃう。
都築 春日八郎なんて、何千曲もあるじゃないですか! すごい人もいますねえ。
マスター だから、大変ですよ(笑)。
都築 僕たちなんて、通信カラオケなら何万曲もあるからなんでも入ってるって思っちゃうけど、歌いたい曲を探していくと、意外にないものなんですね。
マスター 一般に出てるカラオケは大手の会社でやってますからね、入れてない曲もあるんですよ。
都築 新しく入るのは、若い人向けの曲ばっかりですしね。ここでしか聴けない曲や、歌えない曲って、どのくらいあるんですか。
マスター 2000曲。
都築 それはすごいですね!! 日本中からここに歌いに来るんじゃないですか。
マスター 岡山とか広島とか石川からも、来ますよ。作曲の先生も、作詞の先生も、ほとんど来てますね。
都築 業界の方、多そうですもんね。きょうだって、お客さんはみなさんそうみたいだし。
マスター そうですね。だから正直、うちにキャンペーンに来ても、買う人いないの(笑)。いる人が、逆に買ってくれって言うの(笑)。
都築 でもこのSPや、シングルのコレクションは、見てるだけで楽しいですもん。
マスター (SP盤蓄音機のケースの修理の跡を指差し)ここ見てくださいよ。これは鏡五郎さんがぶつかって、折れちゃったの。だからそういうことは、しょっちゅうです。レコードも(壁に)貼ってあるでしょ、これもSPなんかは、ちょっと強くぶつかっただけで、すぐ割れちゃうの。
都築 だって、貴重なレコードが多いじゃないですか! こんな無造作に貼っておいて、いいんですか。盗っていかれちゃうことだって、あるでしょう。
マスター そうそう、だから2枚あるレコードを貼ってあるの。1枚しかないのは、なるべく貼らないんです。ピクチャー・レコードってあるでしょ、あれの高いやつだって、数万円しますからね。

都築 この蓄音機とか、このあたりの古いステレオは、ご自分が使われてたのもですか。
マスター そうですね。このステレオは、昭和33年に6万8千円くらいしたの。それがなんでわかったかっていうと、中にカタログが入ってたから。そんなにしたんだなぁ、と思いましたよ。
都築 当時の6万円っていったら、いまの何十万でしょう。やっぱりオーディオもお好きだったんですか。
マスター あるとついね、買いたくなっちゃって。
都築 じゃあレコードだけじゃなくて、機械もたくさんお持ちだったんですね。
マスター いっぱいありました、昔は。だから骨董品みたいな、いろんなもの集めましたよ。千葉の向こうに小さな家があるんですけど、そこに昔のステレオや蓄音機を30台以上、置いてあったんですけどね。潮風でダメになっちゃうんで、こないだ全部、人を頼んで、捨ててもらいました。
都築 ええええっ! もったいなさすぎ・・・。しかしほんとに、コレクション人生だったんですねえ。
(アルバムを奥から持って来て・・・)
マスター 昔はいろんなところに行ってね、このへんは和歌山まで行ったときの写真かな。
都築 すごい!! 田辺市って、和歌山ですね。そんなところのショーまで、わざわざ見に行ってたんですか。
マスター だから会社潰れそうになったの。女房にも、愛想尽かされちゃったしね。
都築 そうなんですか・・・趣味が嵩じて、ふたたび独身に。
マスター (写真を指差しながら)これ若原一郎、これも若原一郎、これはコロンビア・トップ。コロンビア・トップなんて、僕のひざの上で寝てるでしょ(笑)。
都築 東京でレコード買ってるだけじゃなくて、遠くまで追っかけてっちゃうんだ。
マスター これは細川たかしとね。これは高木一郎と津山洋子、これは大下八郎。
都築 す・・・、すごい。錚々たる顔ぶれですね。歌手の方の人生も、だいぶご覧になってきたんじゃないですか。
マスター みんな亡くなっちゃったからね。いま生きてるのは田端義男くらいじゃないですか。でも、デビュー前にうちに来てた子の数だって、すごいもんだよ。いまや有名歌手になってるひと、たくさんいるから。
都築 それにしても、マスターの人生は、見事なまでに歌謡曲ひとすじですよねえ。
マスター 他のことはわからないの。歌謡曲だけ。
都築 なんでそこまで歌謡曲だったんですか。
マスター 自分が歌えるからですね。そうじゃないと、おもしろくないでしょ。
都築 そうですよね、クラシックの歌曲じゃ、感情入らないしね。
マスター ついでだから、いろいろ見てってくださいよ。(壁に貼ってあるレコードを見ながら)やっぱりね、ただ貼ってあるんじゃ価値がないんです。やっぱりね、この歴史をみなさんに伝えたいですね。これは扇ひろこのデビュー曲ですよとか、そういう歴史を知らないとね。
都築 そうか、ちゃんと選んで貼ってあるんですね。マスターの解説聞かせてもらってたら、ひと晩中かかりそう。
マスター まだまだ閉まってあるレコードもたくさんあるから、今度ゆっくり遊びにきてください。いろいろ聴かせますよ。ところでお腹、すいてない? 焼きそば、作らせようか?
都築 ハイ、いただきます!
<艶歌写真館>
壁を埋め尽くすテープの数々。通信カラオケに入っていない歌謡曲音源が収録されてます
色使いも鮮やかな、貴重なピクチャーレコードの数々。ピクチャーレコードとは、ジャケットの写真やイラストを盤の黒い部分に描いたもののこと。
お宝コレクションの中から見せてくれたポスター
マスター自ら製作したフォトパネル。手間もお金もかかっています
開店当初に作ったというレコード盤をモチーフにしたコースター。全部で36種類あったというが、持って帰ってしまうお客さんが多かったため現在は使用していない
トイレに飾られたフォトパネル
艶歌を訪れた演歌歌手の千社札とチラシ
この日のお客様と記念撮影! 偶然いらっしゃった方々は、もちろん皆さん、歌謡曲業界! こんな豪華なお店、日本でも<艶歌>だけ!
作曲家 保坂ひろし先生(いちばん右)/作詞家 谷みずえ先生(左から4番目)/舞踏家 藤間勘衛以先生(左から5番目)/歌手 大樹ゆたかさん(左から3番目)/歌手 林こずえさん(右から4番目)/18歳の新人 峯ゆき美さん(右から3番目)は来年デビュー予定です! &ファンの皆様!!<♪マスターの1曲>「東京の花売り娘」岡晴夫

今週ご紹介したお店は
『歌謡倶楽部 艶歌』
(住所)東京都中野区中央1丁目32−6
(電話)03-3366-9455
(OPEN)19:00 ~ 1:00
<編集部より>
この連載で取材をさせてくださる、東京のスナックさんを募集しています。
ご自身のお店や行きつけのお店など、ぜひ都築さんに取材に来てほしいという方は、こちらから「スナック取材希望」とご記入の上メールをお送りください! どうぞよろしくお願い致します。
この連載は毎週水曜日の更新です














