第十話 「小人芸人・マメ山田」後編
小さい頃から「大きくなったら絶対に小人プロレスラーになるんだ!」という夢を持っていたオレ。しかし大きくなったら、背丈まで大きくなってしまい、その夢は儚く消えた。
そして憧れだった小人プロレスも、時代の趨勢や選手不足などさまざまな理由で、日本から絶滅してしまった・・・。
そんな偉大なるエンターテインメントを失って、心にぽっかりと穴が開いていたオレの前に現れた小さな男!
それがマメ山田だ!!
ややこしい規制によって我々の前から姿を消すショーマン達。
そのややこしい規制の網をすり抜けて、小さな小さなエンターテナー・マメ山田が飛び出すぞ!!
(下の4点の写真はマメ山田さんのHPから)
対談当日、指定された中野の料理屋さんに到着すると奥の座敷の方からスタッフ達の笑い声が聞こえる。
スタッフ達から笑いをとっている主の声はボーイソプラノ!
「この中にいる!」
襖を開けると・・・、「いた!」
そこには、たばこをふかしたマメ山田さんがいた。
身長114センチでたばこをふかされると、そのアンバランスさに一瞬ギョっとする。
まぁ、法律上はなんの問題もないんだよ、立派に成人してるんだからな。
でも気がつかなかったら、「こらガキ!そんな時分からたばこなんてのんでると背ぇ伸びねぇぞ!」って叱りつける場面だ。いい洒落だね。
遅れたことをお詫びして、早速インタビュー開始!
それでは、リアル絶滅危惧種のマメ山田のロングインタビューを堪能あれ!
玉袋筋太郎が聴く!
マメ山田 一代記
マメ山田 一代記
玉袋 改めてよろしくお願いします。マメ 小さいのだと、誰知ってるの?
玉袋 オレは、小人プロレスからですね。女子プロの前座で、プリティ・アトムさんとか、ミスターポンさんとか、ちっちゃいころから見てたんですけど、もうほとんど見られなくなっちゃって、それが残念で残念で・・・。
マメ 小人プロレスは面白かったよな。一緒に仕事した中で、レスリングやってたやつだと、ブッタマンとか、角掛仁。いま角掛は、岩手のほうに行ってるよ。こっちで仕事がねえからってさ。
玉袋 小さい人の業界で、横のつながりってあったんですか。
マメ いや、ない! よく言われるけど、ない!! あっても仲悪いよ。
玉袋 えっ、そうなんですか?
マメ ってのはウソだけど(笑)。別に普通だけどね。最近だと、日野(日野利彦さん)っていうのと一緒になるよ。蜷川さんの芝居とか、三輪さんの芝居とかさ、良く出るんだよ。やると半年くらい一緒、どういうわけか、楽屋も隣にするんだよね。いつも一緒だから知らない人は仲いいと思うんだろうけど、仲悪いんだよ(笑)。
玉袋 ぜひ、お会いしてみたい!! オレは相棒(水道橋博士)が小さいでしょ。で、相棒より小さい人にはなかなか会えないんですよねえ(笑)。なべやかん、猫ひろしぐらいですねぇ。日野さんもマメさんと同じくらいの身長ですか。
マメ 日野は140センチ。
玉袋 相棒と同じくらいだ。
マメ 相棒そんなもんだった?
玉袋 嘘です(笑)! マメさんは何センチなんですか。
マメ 114センチ!!
玉袋 30センチも違ったら、日野さんですら巨人に見えるんじゃないですか。
マメ 巨人っていうわけではないけど、あんま小さくねーじゃねえかとは思うよね(笑)。
玉袋 114センチっていうと・・・。
マメ ふつうだったら、小学校入学前くらいの身長。
玉袋 ってことはマメさんが見る世界っていうのは、幼稚園のときの視界なんだよな。俺はほとんど記憶がないけど、その目線で何十年も生きてきて、どうですか。ひとと違ったものが見えたりするんですか。
マメ エスカレーター乗ると、いいもの見えるときがある(笑)。
玉袋 ガハハハ、それはうらやましい!!
マメ 小学校のときは、70数センチだったんだよ。小さいからランドセルが合わないって、うちの田舎でランドセルをあつらえて、プレゼントに持ってきてくれたの。体にぴったり合うから嬉しくてね、背負って部屋の中走りまわってたんだよ。それで入学式があって、教科書もらったら、ランドセルに入らないの(笑)。誰も気が付かなかったんだよ(笑)。
玉袋 ガハハハハ、教科書は普通のサイズなんですもんね(笑)。子供のころって、どんな子供だったんですか。
マメ 真面目だったですよ。成績はよかったね。
玉袋 ご両親はなにをやられてた方なんですか。
マメ おやじはサラリーマン、真っ当な。妹が二人いて、妹は150センチくらい、当時だったら普通だよね。だから俺を作るときは、いそいでやって、半分で止めたんだろうな(笑)。
玉袋 それからの成長過程はどうだったんですか?
マメ 中学生の頃も、伸びることは伸びたんだね。中学に入ったときは、1メートルなかったんだよな。97センチか98センチだ。それからやたら伸びて、いまくらいになったの。
玉袋 スポーツなんかはされてたんですか。
マメ 野球はやってたよ。高校生まで。
玉袋 すごい狭いストライクゾーンじゃないですか(笑)。
マメ そうそう、ストライク取ろうとすると、ショートバウンドになるから、キャッチャーが捕れないんだよね。だからランナーが一塁にいると、フォアボールの間にみんな帰ってきちゃうんだよ(笑)。阪神がちょうど、吉田・本屋敷のころだね、僕らがやってたのは。
玉袋 ほかに、はまってたことは?
マメ ハワイアン。中学生ぐらいから、友達がウクレレ持ってて、一緒にやったりして。そのころは仕事してないから、親に買ってもらって
玉袋 ウクレレでもマメさんなら、かなりでかくウッドベースに見えるかもしれないですよ。
マメ だから、大きくなったら絶対にハワイに行ってウクレレ買うんだと思ってたんだけど、大きくならないから、まだ行ってねえや(笑)。
玉袋 身長について悩んだりは。
マメ う~ん、その辺微妙だねえ。思わないっていえばウソになるだろうけど、別に芸人になったのは小さいからなっただけでね。一度見たひとは絶対に忘れないだろうからね、これしかないだろうと思って。
玉袋 マメさんのインパクトに勝てる芸人は、なかなかいないですよ。芸人になるっていったとき、ご家族はどうだったんですか。
マメ 人前に出ないでくれとはいわないけど、反対は反対だった。だけどもう20歳すぎてたから、自分で勝手にやりだして、1961年に「ルーキー爆笑劇団」ってところへ入ったんだよ。
〇コメディアンへの第一歩
1961 大阪にてルーキー爆笑劇団入団。コメディアンを目指す。
1967 OSミュージックの専属コメデアンに採用される。
1969 東京日劇ミュージックホールて活躍。
1972 木村ヨシユキ氏に師事。マジシャンとしてデビュー。
1967 OSミュージックの専属コメデアンに採用される。
1969 東京日劇ミュージックホールて活躍。
1972 木村ヨシユキ氏に師事。マジシャンとしてデビュー。
マメ ルーキーさんって知ってる? 玉袋 ルーキー新一さんですか! もちろん知ってますよ!レッツゴー3匹の正児さんのお兄さんですよね。
マメ ルーキーさんは、吉本で人気があってね。あるとき、家の近くのスーパーへ、明星ラーメンのサイン会に来たの。俺、好きだったんだよ。漫才もおもしろいし、お芝居もおもしろいから、ミーハーだったんだね。だから明星ラーメン買いにいって、サインしてもらったんだよね。そしたら、たまたま団員を募集してたから、これだと思っていったんだよ。そしたら向こうも、くそ忙しい中、覚えててくれたんだよ。それで、「お前、やるのか」っていうから、やりたいっていって・・。
玉袋 飛び込んだんですね!今でいうところの「ルーキーズ」ですよ!
マメ そう。ほかに俺にあった仕事があれば、芸人にならなかったと思うけど、ないでしょ? それまでは、小学校にあがる前から編み物なんかやってて、手芸屋にいりびたってたから、手芸の店やろうかと思ってたんだよ。親もそのつもりだったんじゃない。でもさ、あんな小さな店で、ババア相手にやってたって、なんかつまらんなと思って(笑)。俺が、よくいってた店は、ババアばっかりだったからさ。
玉袋 でも1回スポットライト浴びたら、やめられないですもんね。あれは舞台に立った人間しかわからないですよね。
マメ 乞食と役者は、3日やったらやめられない。
玉袋 やめられないっすねえ。
マメ それで最初のうちは1年くらい、金ってもらってないから、うちから出してもらって。それで通ったんだよ。
玉袋 そのころの関西っていったら、白木みのるさんが偉大なる小さな巨人でいらっしゃいますけど。
マメ 別にあのひとに対して、俺は対抗意識はないし、あのひとのようになりたいと思わなかったけどね。あのひとは、もともと歌手じゃない?
玉袋 そっか、マメさんは芸人になりたかったんですもんね。
マメ でもルーキーさんのとこはお芝居をやってるから、俺ができる役がなかったわけ。そしたら、同じ劇団でお母さん役をやってたおばさんから、梅田の近くにあった「OSミュージックホール」(日劇ミュージックホールの姉妹店)に、座長をやってる知り合いがいるから、紹介してあげるっていわれたの。そこは、踊り子さんと一緒に踊ったりコントをやったりするところだから、そっちのほうがいいだろうって。
玉袋 「OSミュージックホール」ってのは、ストリップなんかもやるような劇場ですか。
マメ まあ、そうだね。
玉袋 実は僕も浅草のストリップ小屋「フランス座」にいたんですよ!!
マメ あなたの時代にも、フランス座なんてまだあったんだ。
玉袋 ありました! 高校卒業してすぐはいったんで、23年くらい前なんですけど。笑っちゃうのが、うちの師匠が修行していたのは、さらに20年前で、そんときに殿がもらってた給料が日給1000円、いまから40年前です。それで23年前にいった俺たちがもらった給料も、日給1000円だったっんですよ(笑)。
マメ 物価が上がらなかったんだ(笑)。どのくらい、フランス座にいたの?
玉袋 1年くらいですね。
マメ 俺もそんなもんだよ。俺はそこにずっといるつもりだったの、居心地いいし。やる役もあったしね、背広着て、葉巻すったりさ。
玉袋 それで出てくるだけで、ギャップで笑いがとれそうですよね。
マメ しかも1年近くやってたら、近所の商店のおっさんなんかも覚えてくれるしさ、居心地よかったんだけど・・。そこ閉めちゃうことになったんだよ。
玉袋 一緒だ!! 僕も閉めちゃう形で追い出されたんですよ(笑)。
マメ そしたら、俺の当時の師匠っていうのが、和田兵助ってひとだったんだけど、その和田が東京の日劇にいくってことで、俺も呼んでもらって、1年くらい日劇に出てたの。っていっても、俺らが出てたのは日劇の5階で、ウエスタンカーニバルとかやってたとことは違うんだけど。そんときに空飛小助と一緒になったりしたの。

玉袋 黄金時代じゃないですか。
マメ いや、黄金でもないんだよね。かなり下がってきてたんだよ。
玉袋 日劇ではどんなことやってたんですか。
マメ たとえば、ふざけた子供の役ね。美術館があって、そこにお母さんと一緒に手をつないで見に行くと、踊り子さんがおっぱいだしたまま人形みたいに固まっててさ。
玉袋 それは子供使えないですもんね。永遠の子役ってのはいいですね!!
マメ でも、日劇入るのに、「こっから先は子供がはいっちゃいけないよ」って引き止めれるんだよ(笑)。入っちゃえって、小助と一緒に入ってたけどさ(笑)。
玉袋 立派な大人なんだから18禁なんて、関係ないんですもんね。
マメ 小助ってのは面白いやつで、いろんなところ連れてってくれたりね。女房いないから家にこいよっていって、遊びにいったりね。
玉袋 年齢でいうと、小助さんのほうがぜんぜん上なんですか。
マメ 10歳くらい上だろうね。あのひとだけ、僕が知ってる中で、僕より背がちっちゃいんだよ。並んだときに、勝ったと思った(笑)。
玉袋 マメさんより小さいひともいたんですね。
マメ めったに会わないけどね。小助も、いまどこでなにやってるか知らないけどさあ。死んだって話も聞かないしねえ・・。
玉袋 でも日劇にいるときは、踊り子さんやお姉さんに可愛がられたんじゃないですか。
マメ 可愛がられた。小助がいるけど、小助は俺より大先輩だから、若い子たちにいばってるわけじゃん(笑)。でも、俺は入ったばっかりだし、よく懐くほうだからさ、可愛がられたね(笑)。
玉袋 お姉さんに囲まれてると、居心地いいですよね。俺も、居心地よかったですよ、いま思えば(笑)。もう、そのときは住まいを東京に移されてたんですか。
マメ 実はね、そのころ、大阪から日劇に一緒にきたのが、いまのあき竹城なんだよ。俺は日劇いくのは決まったけど、住む部屋がなかったんだよ。そしたら、部屋きまるまでおいでよっていわれて、あき竹城さんの家で居候してたの。同棲じゃないからね、まちがえないように(笑)。
玉袋 そ、そうなんですか!! 俺、あきさんが理想の女性なんですよ!そうやってマメさんを住ませるあきさんってかっここいいなあ・・・。生前のたこ八郎さんも面倒見てたんですもんねぇ。ますます理想の女性になりました!
マメ あのころ、4畳半と6畳で、バス・トイレがついて、四ツ谷三丁目の信号からすぐのところだったんだよね。家賃3万2千円。
玉袋 安い・・。あきさんのところには、どのくらいいたんですか。
マメ 部屋借りるまでだから、2~3ヶ月いたかな。
玉袋 しかし、あきさんとも繋がってるとは・・・。すごい歴史ですねえ。
マメ それから大塚にアパート見つけて一人暮らしするんだよ。四畳半で9.500円だったね。
玉袋 マメさんの四畳半だったら、30畳くらいのリビングに感じるんじゃないですか。
マメ みんなそう思うでしょ。でも違うんだよ。高いところに届かないの! だから床に並べるんだけど、そうすると足の踏み場がないわけ(笑)。いまは手品の道具がいっぱいあるからね、下へ並べると寝るとこなくなるから、ハシゴ持ち歩いて上にしまってるよ。
玉袋 家の中ではしごが必需品ですか。ちなみに、その日劇時代はどのくらい給料もらってたんですか。
マメ 1969年当時、月に6万円もらってて、そこから引かれて手取り5.4万円。うちの師匠の和田が12万だったかな。
玉袋 ちゃんともらえたんですねえ、いいなあ・・。本当は僕たちにも、一人頭、月に12万出てたらしいんですよ。それをフランス座の社長が全部一回集めて、そこから1000円だけ渡されてた・・・。その社長、金沢にでっかい家建てたもんね。
マメ そりゃ建つだろうな~(笑)。
玉袋 でも「フランス座」ではいろんなこと教わりましたね。もちろんお姉さんの優しさもそうですよ、当時60歳の踊り子さんが、俺たちが食えないだろうって、炊き出しですいとん作ってくれたんですよ・・。
マメ そのころの踊り子さんっていうと、シミーズ着て出てきて、裸になってお尻おさえて、ハイドーゾって感じ?
玉袋 フランス座は出さなかったですね。関西はオープンなんですか。
マメ 俺がいたところはやってなかったね。ミュージックホールとか日劇ってのはストリップじゃないんだよ。だからおっぱいは出すけど、下は脱がないんだよ。
玉袋 時代的には、春川ますみさんの時代ですか。
マメ そうだね、僕より上だけど。
玉袋 俺、春川ますみさん、好きなんですよねえ。小さいころ、時代劇なんかに出てる春川さん見ると、日劇でおっぱい出してることなんてしらないんだけど、なんかパツンパツンでさあ。やっぱり小屋経験してるひとが出すものってありますよね。
マメ 俺が日劇いたときは、松永てるほ、星ひとみ、久美エリカなんかが人気あったんだよ。
玉袋 有名なひとばっかじゃないですか。うちの師匠とは会ってないですか。
マメ 会ってないんだよ。
玉袋 コント55号は?
マメ 55号は挨拶したぐらいだね。
玉袋 親御さんは舞台を見にきたりしたんですか。
マメ 日劇は、どうだったかな・・・。見てるねえ、たしか。大阪のときは変わるたんびに見に来てたね。ばあさんもそのころいたけど、ばあさんも見に来てたもんね。きれいだからっていって。
玉袋 俺んちも、ストリップ小屋に夫婦で見に来ちゃってさ、恥ずかしかったですよ(笑)。「カップル入ったぞ」ってなって、俺、照明室にいたから照明あててみたら、どっかで見覚えある二人、おやじとお袋なんですよ(笑)。恥ずかしったらありゃしない!そんときは、でもおやじが照明室まであがってきて、小遣いくれたんですよ。心配してたんでしょうねぇ。入る前までは反対していたご家族は、ステージを見てから変わったんですか。
マメ 変わったっていうか、好きなようにしろってことじゃないですかね。
玉袋 やっぱり、舞台で生き生きしてる姿みると、親も変わるんですよねえ。あ、そういえば、道頓堀劇場に出てた、杉兵助さんっているじゃないですか。マメさんの師匠も和田兵助さん。あの時代「兵助」ってつけるのが流行ってたんですかねえ。
マメ どうだろうね(笑)。うちの師匠は、逆さから読むと「すけべいだわ」になるんだっていってたよ(笑)。
玉袋 素晴らしい名前じゃないですか!! 俺の玉袋筋太郎って名前はどうですかね・・・。
マメ もう、好きにすれば(笑)。
玉袋 ガハハハハ。ちょっと、話が脱線したんですが、日劇は1年ほどいらしたんですよね。

マメ そう。やめて1回家に帰ろうかと思って、親のとこ帰ったんだよ。
玉袋 そこから、いまの肩書きである手品師になろうと思ったきっかけはなんだったんですか。
マメ 日劇でね、手品を主題にして踊り子さんが鳩をだしたりするショーがあって、そこに手品を教えにきてたのが、私の師匠になるひと(木村ヨシユキ氏)。そのひとが、たまたま僕が見てる舞台を見てくれてて、僕が辞めた後に、「アレ(マメさんのこと)、どうしてる?」って聞いたらしいんだよ。そのとき、その師匠は、若い女の子の弟子がいて、そのパートナーを探してて、俺しかいないと。それで連絡が来て、会って、やってみるかってなって。なんにもしないよりはいいだろうと思って(笑)。
玉袋 でも、それまで手品のご経験もなかったんですよね。修行、大変じゃなかったですか。
マメ まあ、俺の場合、トランプ1枚、手のひらに隠れないわけだから。
玉袋 そっか、花札がぎりぎりぐらいですもんね。
マメ そのかわり、俺がトランプ使うとすごくでかく見えるしね。鳩を出せば、ニワトリが出たみたいに見えるし(笑)。かえって面白いかなと思って。でも、鳩って隠してると暴れるんだよ、脇の辺でさ、性感帯だから、ダメなんだよな(笑)。
玉袋 ガハハハハ。そいつは悪くないですね(笑)。
マメ まあ、最初のうちは、アシスタントとして品物を渡したりするぐらいだけど、いろいろと手品を見せてもらって教えてもらって、だんだんできるようになってきたんだよ。
玉袋 そうやってマジシャン生活をスタートされたのは、いつごろですか。
マメ 1972年だね。
玉袋 そのころ、テレビの仕事はされてたんですか。
マメ テレビはいまんとこ、ほとんどないね。
玉袋 まだおおらかな時代だから、テレビにも出られたのかなと思ったんですけど。
マメ もうおおらかじゃなかった。
玉袋 じゃあ、ずっと舞台中心だったんですね。
マメ そう、それでだんだん1982年から役者の仕事もはじめて、1988年に帝国劇場で「ロミオとジュリエット」っていう芝居に出たの。
〇役者としても活躍
1982 俳優として活動開始。
1988 帝国劇場 「ロミオとジュリエット」
1989 日生劇場 蜷川幸雄唐版 滝の白糸」
1990 肥前夢街道にてロングラン「水芸」
1991 久留米中島にてロングラン「水芸」
1992 新宿コマ 「オズの魔法使い
1988 帝国劇場 「ロミオとジュリエット」
1989 日生劇場 蜷川幸雄唐版 滝の白糸」
1990 肥前夢街道にてロングラン「水芸」
1991 久留米中島にてロングラン「水芸」
1992 新宿コマ 「オズの魔法使い
玉袋 「ロミオとジュリエット」のときは、いったいどんな役柄だったんですか。 マメ ピエロだね。カーニバルが劇中であって、みんなと一緒にわーってピエロの格好をして出ていくの。外人の演出家だったんだよ。
玉袋 マメさんの枠は、オーディションで募集かけても、日本全国から1000人も集まる枠じゃないですもんね。そこは強いですよね。
マメ その代わり、どんな芝居でもどんな役でもできるってわけじゃないけどね。
玉袋 でも、それからすごいじゃないですか。いただいたプロフィール見ると、1989年には、日生劇場で蜷川幸雄さんが演出した「唐版 滝の白糸」ですもんね。
マメ そう、唐十郎さんが脚本書いたやつだね。
玉袋 蜷川さんってどんな方なんですか。
マメ 蜷川さんも美輪さんも一緒だけど、厳しい方ですよね。
玉袋 蜷川さん得意の灰皿を投げ付けたら、マメさん灰皿の中に入っちゃったりしなかったですか?
マメ その前にたばこに踏まれて倒れたよ。
玉袋 蜷川さんのお芝居はオフィス北野からも何人か、芝居ださせてもらってるんですよ。
マメ 僕が一緒になったのは、グレート義太夫。あのひとと一緒だったな。
玉袋 同じ枠ですかね。
マメ そうじゃない。やっぱり「ロミオとジュリエット」(2004年上映)だよ。藤原達也と鈴木杏。そのときに一緒だったね。
玉袋 そのあとにある、1990年 肥前夢街道にてロングラン「水芸」、1991年 久留米中島にてロングラン「水芸」ってのはなんなんですか。
マメ 夏休みのときに、こっちでいえば日光江戸村みたいなところが、九州の嬉野(うれしの)温泉にあってさ。肥前夢街道っていう。
玉袋 えっ?! 嬉野温泉ですか! うちの若い衆も行ってましたよ。雨空トッポ・ライポっていうんですけど、忍者の格好して2カ月間出てましたよ。もうひと組がコマ回しのクロマニヨン・チェン。ちなみに、そのクロマニヨンっていうのが、いまの東さんの秘書の吉川さんなんですよ(笑)。絶対すれちがってますね。
マメ そいつは偶然だね。俺はね、そこに見世物小屋ってのがあって、そこで水芸やってたの。誰でもできるけどね、あんなの(笑)。
玉袋 出来るもんですか?
マメ いまは不思議でもなんでもないけど、昔は不思議だったよね。劇場の裏に、たるのでかいのをおいて、そこから水をひっぱるんだけど、ホースがないでしょ、昔は。だから不思議なんだよね。なんでこっちから水がでるのかって。
玉袋 1992年の「オズの魔法使い」はなんの役だったんですか。
マメ 小人の国があって、そこの村長さん(笑)。
玉袋 それはマメさんにしか出来ない役ですね!
マメ 毎年、夏休みにやるから、それまでは子供がやってたんですよ。でも、そのときは本当に小さい人を使おうって3人いったんですよ。いか八郎と・・・。
玉袋 知ってますよ、いか八郎! 本名、近藤覚悟!!
マメ よく知ってるねえ。それと、誰だっけなあ。ああ、死んだやつだ、カワイボウヤ。それと僕の3人で。結局、子供たちの中からも何人か選ばれて、オーディションみたいなのがあってね、村長さんの。
玉袋 子供と一緒のオーディションですか。
マメ そう。それで俺が村長さんになって、ほんものの馬に乗って出て行くんですよ。かっこいいんだよ。
玉袋 絵になりますねえ。見たかったなあ。
マメ でもさ、『オズの魔法使い』を映画で見てたら、ちっちゃいやつがいっぱい出てくるんだよね。日本は子供ばっかりだけど。
玉袋 演出家としては、マメさんたちのほうが演出意図をわかってくれるから嬉しいんじゃないですか。子供にいったって、わからないこと多いじゃないですか。
マメ そりゃそうだよな。
玉袋 『スターウォーズ』だってイウォークの中に入ってるのは小さいひとだし、『E.T』の中にも入ってる。それに海外だと、ちゃんと映画スターになれるじゃないですか。エマニエル坊やもそうですよね。
マメ あれ、子供じゃないの?
玉袋 違いますよ(笑)。マメさんのライバルですよ!!
〇マメさんの進む道

玉袋 映画や芝居の世界ではずっとご活躍されてますけど、本業のマジックのほうは、どんなところで舞台に立ってるんですか。
マメ 手品師が何人か集まってライブやるってとこには、絶対呼ばれないね(笑)。ライブで手品やってくれっていうのは、変態の集まりばっかりなんだよね。ストリップがあって、SMがあって、それじゃマメさんお願いしますって(笑)。でもね、みんな面白がってくれるんだよ。ストリップ劇場でやったときも、お客さんってのは、裸を見に来てるわけじゃない。そこへ俺が出てって大丈夫かと思ったけど、出てったら客席が狭いからコミュニケーションがとれる。すごいやりやすかったよ。
玉袋 逆にやりずらい舞台とかどうですか。
マメ 屋外はね、風が出たりすると、ハンカチは飛ぶは、冷房がないから暑くてハンカチが手にまとわりついちゃうんだよ。そういうのはやりずらいね。
玉袋 かぶりものに入ることはあるんですか。
マメ ない。そういう話はくるけど、絶対にやらない。大きさじゃなくて、芸を買ってくれっていうんだよ。だから、顔が出なきゃ絶対にやらない。だって、やるやついないでしょ。前にね、千葉のある遊園地からやってくれって言われたこともあるんだけど、俺は絶対やらなかった、でもその次の年も、しつこく声かけてくんだよな(笑)。
玉袋 逆にかっこいいですよ! ちなみにレコードは出されたことないんですか。
マメ 歌はダメだね。司会はやったことあるけど。
玉袋 マメさん出てきたら、みんな盛り上がるでしょうね。でも、僕はいま42歳で、ちょうどマメさんたちの芸を見られたけど、いまの子供たちは見たことないだろうから、パッとマメさんが出てきたら、どう思うんですかねえ。
マメ う~ん、不思議だろうねえ。
玉袋 親もどう説明すればいいかわからないですよね。親の世代も知らない世代だと。
マメ そうそう、だから体育館みたいなところで子供が集まってて、俺が出てくと、一瞬固まるよね。それほぐさないといけないんだよ。
玉袋 ほぐしのテクニックは、どんな感じなんですか。
マメ その辺は、もう慣れでさ。最後にはキャーキャー騒いでるよ。
玉袋 子供は楽しいでしょうね。マメさん自体が、おとぎ話から出てきたような存在なんだもん。
マメ そういえばこないだお風呂屋さんでさ、鏡にむかって体洗ってたら、後ろから、俺よりちょっとちっちゃい子供が、ガン飛ばして来たんだよ(笑)。
玉袋 目線はぴったりですもんね!
マメ で、なんだコノヤロ、毛もないくせにとか思ってさ(笑)。そこはさ湯船があって、かたっぽは深くて熱いんだよ、上がり湯で。かたっぽは子供でも入れる。俺は深いほうにはいってたんだよ。そしたら、その子供が入ってきたんだよ。でも一気に深くなるから沈んじゃってさ、ほっといたらオヤジがすっ飛んできてさ。気を付けねえと危ねえよ、おとっつぁん、っていってやったよ(笑)。
玉袋 いい話ですねえ(笑)。でも、マメさんは芸人になるって覚悟した時点で、俺のことはどう見てもらってもいいっていう、振り切れ方があった気がするんですけど。
マメ ははは、どうだろうね。

玉袋 でも、マメさん以降の後進がそだってこない現状はどうですか。
マメ やるやつ、いないだろうな・・・。それに食えないと思う。俺は手品やってるし、なんとか食いつないでいるけど、芝居だけじゃ食えないもん。他のやつなんて、いま大変でしょ。角掛だってなにやってんだろうね。
玉袋 角掛さんは、足袋屋の職人だったんですよね。
マメ あいつは140センチ以上あるし、車の運転ができるんだよ。だから女子プロの連中を送り迎えしてさ。
玉袋 やってましたね。俺、最後にあったの、何年前だろう。7~8年前かな、小人プロレスの対戦相手が、いなくなっちゃったからもう辞めるってときに、自転車乗ってる角掛さんを六本木で見かけたんですよ。「角掛さ~~~ん」って声かけたら、手を振ってくれました。
マメ いか八郎なんてなにやってんだろうね。
玉袋 いかさんは、僕らがいたフランス座の社長がボーイズをやってた頃に、東京ギャランドメントっていうコンビを一緒に組んでたんですよ。だから僕たちがフランス座にいるときに、よく尋ねてきましたよ。でもこの間、最後にテレビで見たときは、いかさんごみ屋敷に住んでて、それをぜんぶ掃除されてましたよ・・・。
マメ ほとんど、いなくなったからなあ。
玉袋 とはいえ、マメさんはまだまだやりたいことあるんじゃないですか。
マメ 俺さ、本当は「白雪姫」がやりたくてさ。7人の小人。でもいま、3人くらいしかいないんだよ、小人ができるやつが。
玉袋 それは、見てぇなあ・・・。ぜひ実現してほしいですよ!!
マメ 早くしないと俺がいつまでもつか、わかんねえから。
玉袋 まだまだお元気じゃないですか。健康のためにされてることとかあるんですか。
マメ なんにもない。仕事がないときは、寝たいときに寝て、おきたいときにおきて、腹がへったら飯くって。
玉袋 健康なのはすばらしいじゃないですか。
マメ 体は健康だけど、頭はダメだね。忘れ物はするは、目は見えないわ。
玉袋 いまご家族はお元気なんですか。
マメ 母親もまだいるよ。母親はそうなんだよな、俺より年上なんだよ(笑)。俺より年上ってのは、あんまりいないんだよ、もう・・・(笑)。
玉袋 でも、マメさんを見て、俺もなにかやりたいってひとは多いと思うんですよ。それは身長の制限じゃない。やっぱり、この世界、飛び込みたくなる世界なんですよね。飛び込みたいけど飛び込めない。躊躇している人達の背中押してくれますよ。だからマメさんにはずっと出ててほしです。
マメ とりあえず「白雪姫」やるために、あと4人集めないとな(笑)。
玉袋 最後にお聞きしますが、「♪わたしゃも少し背がほしい~」って思ったことないですか。
マメ 別にいまんとこは、そういうことないよねえ。ただ、電車で押されて中にはいると、つり革とどかないじゃん。しかもちょうど股間があたるんだよ、それがイヤだね(笑)。
玉袋 じゃあ、ラッシュアワー乗らないんですか。
マメ 乗らないね。だから映画って、だいたい朝から撮影じゃん。絶対できないから、車出してもらうから、前の日にホテル泊まるかなんだよね。でもね電車なんか乗る時オレ●●●●●●●●からね!
玉袋 エッ!そうか、それは凄いですよ!
マメ 駄目だよこれ書いちゃ! 商売あがったりだ!
玉袋 ハイ、ここは完全に規制します(笑)! 逆に、マメさんと対照的な存在だったジャイアント馬場さんのことなんて、どう思いますか。
マメ お気の毒だよな。
玉袋 世界のジャイアント馬場はお気の毒な方ですか。
マメ あんな2m近くあったり、100キロ以上あったりするのは、気の毒だと思うよな。
玉袋 マメさんから見たらそうですか。大変、貴重な意見です。ジャイアント馬場さんが生きているとき逆の質問してみたかったです。
マメ でも女は、背の高いのがいいけどね。
玉袋 え?!
マメ だって、はしごいらないじゃん(笑)。
玉袋 なるほど!!今度大きい女性を紹介しますよ!
マメ よろしく頼むよ!
玉袋 今日はどうもありがとうございました。

こうして2時間たっぷりとマメ山田さんに人生を語ってもらった。
こっちの振った話にいちいち話を落としてくれるマメさんやはり芸人さんだ!
最後にマメさんは、オレに抱っこまでさせてくれた。
60才を過ぎたマメさんだけど、114センチ・体重22キロのその体を持ち上げると、なんだか自分のガキを小さい頃に抱っこしたことを思い出してしまい、キューンとなってしまった。
オレをこういう気持ちにさせる不思議な力がマメさんにはあるんだ。
これはまさに、ファンタジーだ!
ファンタジーにリアルもなにもないが、小人プロレスという「リアルなファンタジー」は存在したし、今もリアルなファンタジー・マメ山田さんは存在している。
夢である「白雪姫と7人の小人」が実現すれば、本当のファンタジーの世界を見せてくれるだろう。
7人が集まることを切に祈る。
集まった日にはその7人は「黄金の7人」、「七人の侍」だよ。
今回の見聞録、オレの憧れだった絶滅してしまった小人プロレスのヒーロー達がこうして席を用意してくれたのかもしれない。
うん、やっぱりファンタジーで〆よう。
リアルファンタジー・マメ山田さん!
絶滅危惧種に認定!!!
絶滅危惧種004 「マメ山田」
マメ山田さんのHPはこちら! http://hccweb5.bai.ne.jp/~hdl03601/ (音が出るので注意!!)

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